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「ニセ霊言集」の見破り方
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日付:2010/10/24 (Sun) 19:48:02 -名前:退会者
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(※管理者の作業ミスにより一度消えてしまいましたので
ログよりコピペさせていただきます。本当に申し訳ありませんでした) HSの教義(霊言・啓示・理論書)が 人間の捏造による自作自演である、という点について書いてみたいと思います。 私が「霊言の捏造」について、間違いない!という確信を持ったのは 去年から今年に出されている「新・霊言集」との内容の比較によってでした。 つまり、90年代までの「旧・霊言集」と 去年からの「新・霊言集」との中身(質・教養レベル)の明らかな落差から判断して これらは「霊言」(チャネリングや啓示)ではそもそも無いし、 さらには、同一人物による作成物でも無かったらしい、ということが分かったためです。 KK名物の「霊言集」というものは、高級霊からの啓示やチャネリングではなくて 故人(善川・富山氏)の描いた設定・シナリオに沿って、大川氏が演出(演技)したものであるか 大川教祖自身が、その場の思いつきで霊人をまねて喋っているだけのシロモノです。 結論から言えば、 ①90年代までの「旧・霊言シリーズ」の大半は、故・善川氏(または)富山氏の作出であり (ただし、高橋信二の霊言シリーズは、大川教祖本人の作出であった可能性が大) ②去年から出された「新・霊言シリーズ」は、大川教祖本人による作出である ということです。要するに、作家(書き手)が変われば、作風も変わるということですね。 結局のところ、人間は自分の知っている知見・教養・知識を超える内容は書けないわけで ①と②の中身を比較してみれば、その落差は明らかであるということです。 (故善川氏・富山氏に比べれば、大川教祖は明らかに頭が悪いということが分かります) さて、霊言のウソを見抜くポイントを幾つか書いておきましょう。 1.記述内容が「ご本人の発言」(=霊言)ではないことを証明している 2.霊言の内容(霊人たちの言葉)が「人間の捏造による」ことを示している 3.新旧の霊言シリーズの内容比較によって、作者が違うことが分かる 大きく分ければ、この3つのパターンからウソをあぶりだすことができます。 それぞれの事例を見ていきましょう。 ---------------------------------------------- ①「霊人本人の発言でない」ことが明白に分かるケース もし「ご本人」(霊人自身)であったら、決して間違えるはずのないような 自分自身の情報や知悉している事柄について、素人レベルの誤りをしているケースです。 旧霊言集では、『内村鑑三の霊示』を挙げられる方が多いようですが・・・ 私が注目しているのは、新霊言シリーズの『霊性と教育』の中の 「ルソーの霊言」がもっとも分かりやすい事例です。はっきりニセ霊言だと分かります。 ルソーの政治哲学には、「一般意思」と「特殊意思」という対概念があります。 「一般意思」は、「特殊意思」の寄せ集め(全体意思=世論)ではない、 というのが、ルソーの政治思想のポイントになっています。 分かりやすく言えば、「特殊意思」というのは、市民1人1人のこうして欲しいという要望です。 (例えば、子ども手当てを支給してほしい、年金を手厚くしてほしい、などなど) そして、個人の要望・選好を集めていった「全体意思」(集合)がいわゆる「世論」に当たります。 しかし、ルソーは、個々人の「特殊意思」を寄せ集めただけの 「全体意思」=「世論」によって、政治を決めてはいけない、ということを言っています。 そうではなくて、社会全体のために、みんなのために何が必要なのか、という 「普遍的」な視点から考えられた意思決定が正しいのだ、と言います。 それを「一般意思」という用語で言っているわけです。 さて、問題の「ルソーの霊言」においては、政党職員からの質問で、 「一般意思と全体意思は何が違うのですか?」という鋭い質問が出ました。 それに対する、ルソー(要はバカタレ教祖本人)の回答が噴飯モノです。 「一般意思」の意味がさっぱり分かっておらず、 「世論」による意思決定、と勘違いするという素人的ミスを露呈しています。 もし、これがルソー本人による霊言であるならば 自分自身の政治思想(一般意思の意味)の用語を間違えたりするでしょうか? 実は、これに似た素人ミスは、 旧霊言シリーズの「カントの霊示」(『幸福瞑想法』に所収)にも見受けられます。 カント哲学のキーワードに「悟性」という用語がありますが、 この用語の意味を取り違えて、何か「宗教的な悟りの理解能力」だと勘違いしています。 しかし、実際は「悟性」とは英語でいえば「understanding」のことで 知的認識力、知覚する能力のことで、要は日本語の「知性」「知覚」と同じ意味なのです。 特に「悟り」や「宗教的な意味」はそもそもカケラもない用語なのです。 (明治時代に日本の学者が、あえて難解な翻訳語を当ててしまっただけです) こんな決定的な用語の取り違いを、まさかカント本人がするでしょうか? つまり、この2つのケースからも明らかに分かることは、 「霊言」とは真っ赤なウソであって、ライターのシナリオにそって喋っているだけだということ。 ライター本人の教養・知識を越えるような高度な内容について書いている場合には 往々にして素人ミスを犯しており、ニセ霊言であることがバレている、ということです。 自分がよく知っている分野や歴史上の人物についてなら ニセ霊言で騙したり、それらしく語ることはできるでしょうが、 自分がほとんど知らない分野やジャンルについては とたんにボロが出るわけですね。 さて、昨年からの新・霊言集について登場人物を並べてみると 歴史的に実在が明らかである「近代の欧米人」が極端に少なくて 日本史上の人物、実在が疑わしい古代文明の架空人物、宇宙人 の3つのジャンルにばかり、登場霊人が集中していることが分かります。 どういうことかと言うと、バカ教祖が少しでも知っている日本史上の人物や ナショナリズムを投影しやすい日本人政治家であれば演技がしやすいことと 架空の人物、超古代の人物、宇宙人などであれば 事実関係や専門用語などによる素人レベルの致命的ミスを指摘されずに 「ニセ霊言」だとバレずに済むからでしょう。 しかし、自分がほとんど知らない欧米圏のキリスト教系や思想家系となれば そういったジャンルについての専門知識や教養がありませんから、すぐにボロが出ます。 ですから、こういった欧米系の知識人や文化人についてはかなり倦厭していて 霊言を出したとしても、立ち入った内容、専門知識には触れないように回避する姿勢が明らかです。 ------------------------------------------------------ ② 霊人たちの共通発言に矛盾点があり、捏造を示しているケース 「旧・霊言シリーズ」については、最近の「新・霊言シリーズ」に比べれば まだ、内容的にも質がそこそこ高くて、読み物としてはなかなか面白いのですが しかし、やはり所詮は、故人(善川・富山)による自作自演であることは明らかで 霊人たちに共通して喋らせている内容に、致命的な矛盾があったりします。 その典型的な例が、様々な霊人たちが「高橋信二」のことを 共通して、9次元霊、エル=ランティとして語っている、という点です。 ・古今東西、宗派、系列のことなる「複数の霊人」たちが共通して証言している ・しかし、後になって教祖本人がこの言説を否定したという経緯がある この点はどうやって整合的に理解すべきなのでしょうか? ①霊言がホンモノで、霊人たちはウソを言っていない ②霊言はニセモノで、勝手にGLAを持ち上げて信者獲得を狙っただけ もし、①であるならば、多くの霊人たちの言っている事実を 後になって、教祖が勝手にねじ曲げた、ということを意味します。 (霊人たちは本当のことを言ったが、教祖が勝手に事実を曲げた) もし、霊言もホンモノで、教祖も事実を言っている、と言うのであれば 今度は、霊人たちが宗派・系列を超えて、口裏合わせてニセ証言をしていた ということにならざるをえないでしょう。 総ぐるみで詐称して、ウソをまことしやかに語っていた高級霊たちは 果たして、誠意がある高潔な存在であると言えるでしょうか?高級霊に値しません。 これらのジレンマが解消できない以上は①は誤りであって 霊言はニセモノ、霊人もニセモノという②が正しいことが明白なのではないでしょうか? ---------------------------------------------------------- ③ 新旧の霊言シリーズの内容比較で、書き手の違いが分かる 新旧の霊言シリーズを比較して明らかに言えることは、 登場する霊人たちのグループ、霊言で語られる内容の質に大きく落差があることです。 旧・霊言集では、古今東西や宗派などで見ても 登場している霊人の数にそれほど大きな偏りはありません。 宗教家、思想家、政治家、文化人、欧米系、アジア系など多様な面子です。 しかし、新・霊言集では、先ほど書いたような明白な偏りが見られます。 これは何を意味するかといえば、書き手の教養・知見の範囲を示しているのでしょう。 つまりは、故人の善川・富山氏と、バカタレ教祖の大川氏との「頭の中身」の違いです。 前者のほうが、教養や学識レベルではまだ広くて深かったと言えるが、 (善川・富山氏には、欧米圏の宗教や思想への基礎的教養、仏教理論の知見があった) 大川氏にはそこまでの教養や知見が無い、というのが実態なのでしょう。 だからこそ、バカ教祖には、前者に対しての根深い知的コンプレックスがあるわけですね 当然、ライターとして書ける霊言のジャンルや内容が限られてくるわけです。 また、政治的スタンスの違い、という点から見ても 新旧の霊言集の中身の違いは際立っていて、 旧霊言集では、ナショナリズム色は薄く、中道的でコスモポリタンな立場が主流だが (国際協調を重んじ、排撃主義や民族主義を批難する考え方が基調になっていた) 新霊言集では、ナショナリズム色が鮮明で、右翼的、自民族中心主義が明確である。 (国粋主義に立ち、排撃主義、民族主義が基調になっている) これは、善川氏と大川氏の「政治感覚」の違いを示すものと言ってよいだろう。 渡辺昇一の著作を愛好している、大川自身の政治的スタンスが 前面に出ているのが、新・霊言集である、というのが実態だろう。 (善川氏には、そういった政治スタンスへの傾倒は見当たらなかった。) 以上の①~③の論点で、丁寧に内容をチェックして、新旧霊言集の比較をしてみれば これらの著作が、人間による捏造、自作自演であるということが分かるでしょう。 ただ、同じく捏造作品であっても、まだ旧霊言のほうが 書き手の学識や教養がそれなりであったために、読み物としての質は高かったのでしょう。 新霊言のほうは、もはや読み物としては噴飯モノで そのレベルの低さに目も当てられないことは読者のみなさんが感じているとおりでしょう。 Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:48:55 -名前:とらわれえざる者
退会者さん おはようございます
言霊集はもう稚拙過ぎてちょっと哀れささえ漂ってますね 明治天皇の「明治です」はもう呆れ返るばかりです 何をどう言い繕っても本人ならありえない発言です 演じてるが故の発言です 宇宙人関係ではドゴン族のシリウス伝説とかは既に看破されていて、文明社会から流布されたものであるのが知られてますが、総裁は知らないようですw 言霊集に限らず活字になり装丁が整ってると内容のいかんに関わらず信じてしまう人がKK信者に限らず少なからず居ます これは教科書教育の欠点を克服できなかった人が多いからだと思います 読書の楽しさと知識・教養とするべく査読との違いを身に着けてないと、トンデモ本がこれだけ多くかつベストセラーに名を連ねると(オ)カルト脳がいつのまにかできあがってしまいます 斉藤孝氏が「神々の復活」の中で ”非合理性が故に論理ではなく心情に訴え、感覚を把えて人を熱狂的に行動に駆り立てようとする。 科学の喪失と神話の再生という文脈の中では、学術的には嘲笑の種でしかない理屈も十分にその存在理由を見出すのである。” と述べてますが、まさにその熱狂・フィーバーの悦楽から抜けられないといくら教祖の低俗なアホらしさを示してもなかなかKKからは抜けられないでしょう・・・ 人生と言う川に流されて縋り付いた藁を手放すのは怖いものです ほんとうは手放せばその自由になった手で泳げるんですが・・・・ 霞網に囚われた鳥のようになってはいけません Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:49:56 -名前:イエスまりあ
詳しくも解りやすく端的な解説をしていただき感謝申し上げます。
ご指摘の通り初期の頃の霊言にはまだナショナリズム等などなく余裕というものがありました。 それは書き手の教養や奥深さからくるゆとりであったのかもしれませんね。 つまり教祖のどうしても越すことが出来ない兄や父親に対する強いコンプレックスが今の人格を形成したのでしょう。 今だにHSにしがみついている信者さんの多くは疑問があっても検証することは少ないでしょう。 そういう信者さんにも問題はありますが、教祖自身引き出しの中身が底をついているので 騙しやすい、目に見えない霊ものに固執するしかないのですね。 Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:50:55 -名前:とらわれえざる者
イエスまりあさん こんばんは >今だにHSにしがみついている信者さんの多くは疑問があっても検証することは少ないでしょう この人たちは、大川自身のセルフマインドコントロールがとけて、嘘だったと表明してもそれは信じずKKに執着する人が大半なのではないでしょうか 他のカルトや霊感商法の被害者がそうであるように・・・ 自分が可笑しなモノを信じていたとか騙されていた事を認識しない、したくないと言う願望がそうさせます、この願望を生む心根が今KKにしがみ付く要因だと思います わかりやすい例が結婚詐欺師に騙されてた人がその現実を信じられないと言う事ではないでしょうか ストックホルム症候群とは似て非なる自己保身による悪人への同調です Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:51:39 -名前:エル・バカターレ
退会者さん、非常に判りやすくまとめていただきありがとうございました。 実はアンチとなった今でも、旧霊言集は時折読むことがあるのです。 宗教書としてはすでに危険な書物ですが、思想書として読む分には美しい思想だと思っているんです(あくまで私の感想です)。 新霊言集はとても読めません。ページをめくるのが苦痛です。 私はこのような直感的な感じ方でしか表現できませんが、 退会者さんの分析を読んで、自分の感じたものをうまく整理する事ができました。 判りやすい解説に感謝いたします。 Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:52:39 -名前:アイマイミー
退会者さん ありがとうございます。深くて鋭い洞察力に感服いたしました。
わたしも、初期霊言集(潮文社)の作者は誰だろうという疑問がありました。それとヘルメスの「愛風」はおそらく狂祖作ではないと疑っておりましたので、疑問が一つとけたような気がします。 >旧霊言集では、ナショナリズム色は薄く、中道的でコスモポリタンな立場が主流だが この思想は、善川氏の思想の反映ですね。善川氏は生長の家を学びながら、共産党の思想性をひきづっていましたから、初期の月刊誌などで、対人関係の相談でもめている事案などには「それは損害賠償できる」ってやっていましたから、とても宗教家と思えませんでした。 また、第1回目の中級セミナーに参加したとき、善川顧問も講師で、天皇制批判をおこなったのです。私は実は、民族派の学生運動出身なものですから、講演終了後に、文句を言いにいきました。そこには、やはり、その講演に不満をもつ人間もおりました。政研グループのOさんとか・・・ >ただ、同じく捏造作品であっても、まだ旧霊言のほうが書き手の学識や教養がそれなりであったために、読み物としての質は高かったのでしょう。 富山氏の葬儀の際、善川氏より、初期霊言集の富山名のある本を棺に入れてくれと頼まれました。葬儀社の人に見つかるとうるさいからそっと入れてくれとの指示でした。お花をいれるときに、そっと実行したのですが、そのときは、署名入りだから入れたんだろうと思いましたが、退会者さんの説明で、あぁ、あの本(4~5冊)は、富山氏の作品なんだと理解できました。 あと、先ほど書いた「愛風」は狂祖の作品ではありません。月刊誌のストックがなくなって、編集部長の種村君が請求の稟議をあげた際、狂祖が激怒しました。「ヘルメスを悲しませるな」とくるくる赤鉛筆で稟議書に大書して。そのときに、ハハーンこれは狂祖作ではないなとピンときました。その件と、月刊誌の「巻頭の祈り」の請求でも怒られまして、かわいそうに種村君は左遷されています。 退会者さん、どうか、この分析を、したらばの資料集に転記してください。それと、恐れ入りますが、続編を書いてください。これは、アンチには霊言の欺瞞性は理解していますが、信者側につきつけると大変に効果があると思います。最近のHSの傾向は、この霊言の盲信している信者で成り立ち、工作員もこの霊言を依拠して、話を組み立てていますから、その根拠の前提が崩れれば、HSは崩壊します。 ぜひ、検証を続けられ、教えていただきたいと存じます。また、ここと、資料集に同時掲載をお願い申し上げます。よろしくお願い申し上げます。 Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/24 (Sun) 19:54:29 -名前:退会者
みなさま、お早うございます。 他サイトへの記事転記などはご自由になさって頂いて構いませんので。 私が思うに、KKを本気で潰そうとするならば 別記事で書いた①~③の論点の3点セットを分かりやすくまとめたパンフ等を作って 各支部ごとの信者台帳から「大黒天」「植福菩薩」「伝道菩薩」と付いている信者を 全員洗い出して、彼らに郵送やポスティングで上記の作成パンフレットを配布していくのが 実は一番効果的ではなかろうかと思いますね。 (エリアごとに配布担当、信者情報収集担当などを割り振って実行する) 彼らの大半がいなくなれば、あるいは、めでたく「脱会」とまでいかなくとも 活動や献金に積極参加しなくなくなれば、KKは活動資金を失って干上がりますから。 あとは、内部職員が脱税などの内部ネタを、国税庁や東京都の宗教法人管轄にリークして 国税や地検に強制捜査に踏み切ってもらうように要請する、というのも即効性がありますね。 Re: 「ニセ霊言集」の見破り方
日付:2010/10/25 (Mon) 21:39:39 -名前:toto
霊言集だけではなく、衛星中継でもよくぼろを出してましたよ。
とくに理系の人から見れば涙が出そうなくらいたくさんのぼろを出していました。 お川はかなりの科学音痴ですよ。 とにもかくにも、お川はいつでもぼろを出しているといってよいと思います。 潜入してみるといつも涙が出てきます。 |
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