|
迷いの生存
| |
|---|---|
日付:2011/03/06 (Sun) 14:35:05 -名前:アルトハイデルベルグ
|
|
いつの時代も、人生は苦しみに満ちており、それ故に、人は救いや悟りを求めます。
しかし、法理論だけで、真に救われる人は、過去にも、現在にも、未来にも存在しません。 仏法の理屈を追い求めるだけの人々には、真の人生の悦びは訪れません。 幸福の科学の教える愛・知・反省・発展の先には道徳的世界があるだけで、 やはり迷いの世界からは抜けられません。 悟りは、自己の底、宇宙の底まで行くことであり、理屈をを学ぶことではありません。 悟りは、自己の無い所、自己を諦めた先にあります。 悟りは、自己を解放し、真の自由をもたらします。 現代に即して言えば、左脳で考えた先には、永遠に悟りはありません。 左脳的世界即ち、言葉を滅却し、論理をを滅却し尽くし、 空間及び過去・現在・未来が本当に消え去る体験をした時、 自己と宇宙が一体化し、とてつもない悦びの世界が訪れます。 そして人の心が手に取るように解る世界が開けます。 それは、伝統的仏教の手法によって努力し続けた人にのみ可能となります。 悟った人には、心の底から湧き出づる喜びと平安があり、それがオーラのように見えます。 大川隆法氏には、凡夫の哀れがあり、それが黒いとぐろとなっています。 理屈と大乗的救い、霊的世界及び現世的世界に拘泥する幸福の科学の人々は、迷いのうちにあり、、 彼等に真の悦びが訪れることはありません。彼等及び大川隆法氏には、再び迷いの生存が待っています。 Re: 迷いの生存
日付:2011/03/07 (Mon) 07:23:47 -名前:変わり者
アルトハイデルベルクさん。マイヤーフェルスターですね
あなたのお名前をじっと観ていると、色々な気持ちが浮かんで来ました。 返信は不要です。凡夫の観点からの独見です。 まず第一に、最高の師にめぐりあった喜び。 第二に、迷いの生存において、仏道修行をする喜び。 第三に、師が去られた後の仏弟子の気持ちです。 そこで一首 遠き国よりはるばると、尼連禅河の懐かしき 岸に来ませる我が君に、今ぞ捧げんこの時の、 いと香しきパーヤーサ、 いざや入りませ我が家に、いずれ去ります日もあらば、 しのび賜れ若き日の、祇園精舎の学びやの、 幸多き日の思い出を。 心のままに行じたる、黄金の時よ珠の日よ、 今し還らぬその跡を、求めて我は懐かしむ。 |
|