目を覚ませぬ悲しい信者たち
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日付:2011/09/30 (Fri) 23:48:33 -名前:ヴィッツ
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何故、物事を多角的に見れずに善と悪に分けてしまうのだろうか?
以前、脱会についてお世話になりましたヴィッツです。 あれから内容証明を送付し、無事に脱会しました。(特にその後に訪問だとか電話だとかもなく本当に脱会できたのか少し不安になるくらいでしたが。) 正心法語も真っ二つにし、燃えるゴミで出し今は気分的にすっきりしています。 さて、不倫に走った信者である元妻を持った夫として少し思ったことを書かせてください。 他宗教であれ、良い面もあれば悪い面もあるはずです。 恐らく、どの宗教であれ目指すところは真の平和ではないでしょうか。 であればお互いに共存し合い認め合うスタンスが必要なのに、何故理解しようとしないのでしょうか。 信者を増やすことしか考えない、これだけでは単なる派閥争いと同じです。 そして信じる力が強いせいか、自己中心的もしくは自己満足的な性格になりがちで我慢が効かず思い込んだら止らない。 どうも新興宗教信者は全般的にそのような傾向が強い気がします。 本来、自分の人生を幸せにするはずの宗教だと思いますが、逆に狭い視野で偏った信じる力だけしか持てない、つまり依存しなければ生きていけない寂しい人生だと何故気付かないのでしょうか? Re: 目を覚ませぬ悲しい信者たち
日付:2011/10/01 (Sat) 09:19:00 -名前:とらわれえざる者
ヴィッツさん おはようございます
こんな幸福の科学でも信者はグローバルに・大局的に考えてると思い込んじゃってますよ ”教団の(おかしな)思考”しかしませんから 自分達の唯物主義を糊塗する唯物主義批判 自分達の宗教として昇華する事をしないが故の無神論者批判 自分の虚栄心を満たすのが宗教だと勘違いしてるからでしょうね 一言で言っちゃうと心地いいんですよ、何しろ自分には責任が無いって事ですから 揺り篭の中の赤ん坊状態です その赤ん坊のオシャブリが宗教心だと思い込んでます 美辞麗句を掲げて、自分は、あるいは自分達はこんなスゴイ事に関わってるって思えちゃう事が 例えそれが客観的に見て馬鹿げててもです |