踏み絵のつもり?パート3
| |
---|---|
日付:2011/11/10 (Thu) 17:37:47 -名前:イエスまりあ
|
|
今回の携帯メールチェックの衝撃は予想通り大きかったようです。
今日は各支部の残っている信者さんや、元信者さんから連絡をいただきました。 さすがにこの事件はまだ頑張ってHSに残っている信者さんにも影響があったようですね。 また、元信者さんからも以下のような連絡がありましたので書きしるしたいと思います。 今回の事件ではありませんが、以前やはり同じような魔女狩りらしきものがあり 新任の見も知らない支部長がいきなり電話をしてきて偉そうに上から目線で その方を責めたそうです。 彼女は実に気のしっかりした女性ですからきちんと反論をしてその事を 総合本部に伝えたそうです。勿論逃げる必要もないわけで実名で事情を説明したそうです。 その後お詫びの電話など一切ないという非常識極まりない態度を見て 偉大なる常識人を輩出するのではなかったの?HSは!と笑い転げていましたが 更に実態を知ることが出来退会した事が大正解だったと言っていました。 自分たちが嘘の上塗りしているので一旦疑念をもつと 留まる事を知らないのでしょう。 やはり正直が一番です。 幸福とは心穏やかな事なり! 彼らは日々心が乱れ真っすぐに生きてゆけない可哀想な人々です。 堂々と人生の王道を歩めない憐れな人々です。 多くの人の恨みという念を受けて幸福になどなるはずもありません。 己の心に深く問うてほしい。 貴方は本当に自分に正直に生きていますか? Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 18:14:46 -名前:フリーダム
イエスまりあさん、お疲れさまです。
この度の携帯メールチェックの件は、一般社会とかけ離れた教団の異常性が現れましたね。 先の衆院選で、里村編集長(当時)が次のような話をしていました。 中国では政府機関が市民のメールを検閲している。中国政府に都合の悪いメールは削除されている、中国には自由がない。 と。 そう語っていた教団が一般信者の携帯メールをチェックするとは、、ほんとに呆れてしまいますね。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 18:50:30 -名前:アルゴラブ
イエスまりあさんからの、信者の携帯検閲を行うまでになり下がった狂団の実情に寄せて。 一般的に、企業が社員に対して職務専念義務違反や守秘義務違反などを念頭にした監視のため、事前に誓約書を出させるなどの安全策を講じた上で、社員に貸与しているPCや携帯の情報をモニタリングすることはあるようですが、しかし仮に誓約書をとったところで私物の中は見ることは求められないし見せる必要はなく、あってはならないことです。 日本国憲法 第21条 1項 集会、結社及び出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。 2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 今回のように信者の私物の携帯電話の実査を行なうなど、プライバシーの侵害や通信の検閲ということから極めて違法性が高い蛮行です。会内のルールでいかなる言い訳をしようと狂団の人権侵害、憲法違反を正当化することはできません。こうしたことを求められても狂団の言いなりになることはありませんから、毅然とした態度で拒否したら良いです。 しかし、まがいなりにも公益法人として認可されていながら、やはりこの狂団はその自覚が喪失しており、世間法の上位規範であるべき宗教倫理を扱う団体にあるまじき呆れ果てた下劣さです。 「信者だから良い」とでも言うんでしょうか?同意があったとか?この信者の私物検閲の動機が、狂団にとって不利益な情報発信者の摘発という懲罰的目的であることからして、私物の提示を求められた信者は本来拒否できる自由意思を著しく抑圧された状態に置かれることは容易に想像でき、私物の検閲はもちろん、そのために支部に足止めをされたり不利益な扱いを受ければ、それらは全て不法行為であるのです。それを承知でこうしたことを行うという人権、法規に対する意識の希薄さが幸福の科学という宗教の反社会的、破壊的カルト性を端的に表しています。 このカルト宗教は狂団のためならば他者の人権などどうでも良いのです。だから狂団にとって不利に働く脱会者の近所に中傷ビラをまけと狂祖が直々に指示したり、そうした狂祖の教唆によって関係者だけじゃなく目障りな学者宅の郵便物を盗ませたり、反対住民の個人情報を不正に入手して脅したり平気でするのです。 検閲を実施するなど、この狂団には透明性などなく「表現の自由」すらないということです。言いたいことが言えない閉鎖社会。狂団による「悪魔」「地獄」という恐怖による信者支配。まったく前時代的な世界ですね。 真理の探究を志して会員になったはずの方々の立場に立って申し上げます。 信者のみなさん、奴隷のごとく管理されて本当に幸せですか? いま訳も分からずとも盲従していれば来世の幸せが約束されるなんて都合のよい幻想です。過去、現在、未来は分かれて存在するものではありません。現在ただ今の心的幸福感を練れない者が来世で幸福であるわけがないじゃないですか。真の真理ならあなたを曇らせ不自由にすることはありません。激しい疑問、否定しきれないでいるその葛藤や苦しみは、主体的判断を放棄した心の姿勢が間違っているからです。 自分の良心に素直になって下さい。生まれ持って与えられた理性に忠実になって下さい。それらは神から与えられたものではないんですか? 大川なんぞに出会う前から、もともとあなたはそれを持っていたじゃありませんか。自らを神だと騙っているだけで、デンパな公演の回数や小学生の教科書並みに字がデカく陳腐な本の発行部数と、金を払って載せた新聞広告の大きさでしか自己の証明ができない恩着せがましい能なしの俗物より、なんら見返りを求めず分け隔てなく命と神性を付与し、あくまで公正でいて特別な干渉を一切することなく、しかし法を通じて全ての生命と常に一体でいる存在と、もともと初めからずっと共にあったことに気付いて下さい。今までは自我と俗物が作った思想の滓によってそれらと分断されていたのです。狂祖も狂団も要りません。むしろ邪魔です。 恐怖やプライドから今その思考を埋め尽くしているものを捨て去ってしまえば、自然に与えられた力はいま少し薄汚れてしまっているだけで、それでもまだ失われずに心の奥底にありますから、あなたの勇気次第でその曇りを排し本来の働きを必ず取り戻すことができます。悪い夢から目を覚ますんです。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 22:42:34 -名前:バルナバ
愛のある”宗教団体”なら、内部情報が流出したときにどんな行動にでるのかな、と考えてみました。
もし自分がこのような事態に巻き込まれたらどんな行動をとるだろう、とも考えてみました。 「踏み絵」状態になったときに、さっさと自分の携帯を差し出して自分の潔白を証明するのもひとつ。 でもそれにより追い込まれる人がいる。それは心苦しい。それなら誰も自分の携帯を差し出すことはせず つるし上げることもせず、やってしまった人が自ら告白することを待つ。そしてそれを(最終的には)赦せたらいいな。 と、理想ですが、こんな結論に達しました。実際自分がそうできるかはわかりません。かなり勇気も必要です。 愛をもって問題を乗り越えようとする団体なら、そもそも踏み絵の状態にはなりにくいと思います(そう信じたいです) この状況が全国のKK支部に伝わればよいのに・・・ という意地悪な欲がでてしまいました。(ごめんなさい) この件で傷を負った方々が癒されるように願っています。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 22:50:01 -名前:イエスまりあ
フリーダムさん こんばんは。
中国を非難する資格などないという事ですね。 チェックされた方々はどのような心持なのでしょう。 一生懸命布施をし、伝道をし、献本をし、お誘いをしながら頑張ってきた真面目な 信者さんだからこそ、そのショックも大きいのでしょう。 自分さえよければ相手はどうなっても構わないという 極めて低俗な精神の表れです。 相手を思いやる気持ちの余裕などないのでしょうね。 すでにHSはエネルギーを吸い取る磁場になっていますから どんどん人が遠ざかっています。 今回の魔女狩りは常軌を逸しています。 決してあってはならない事ですね。 どうしてこのような状態になったかという事を真摯に受け止めしっかりと 考えなくてはいけないのですが、それが出来るような余裕などないでしょう。 一連の宇宙ものをざっと聞きましたがあまりに滑稽すぎて あの話を一体何人の信者が心から信じているのだろうと考えました。 もし、ストレートに受け入れて信じているならマイコン解除は難しいでしょう。 しかし離反者は多いと思います。 崩壊の序章でしょうか。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 23:10:58 -名前:イエスまりあ
アルゴラブさん こんばんは。
恐らく信者さんは法的な事など普段から考えもしないでしょう。 しかしながらこうやってきちんと教示してくださることにより 問題が発生した際にとても役立つ情報となります。感謝申します。 信者さんと話してなんとなくですが強く感じたことがあります。 ハッキリと口には出しませんがすでに見切った方が多くいるように思えてなりません。 しかし恐怖で縛られているがゆえに雁字搦めとなり飛び出せない方が以外に多いのです。 北風と太陽のように辛抱強く日だまりを提供しながら自ら恐怖を払拭できるように 何とか皆様方のお力をお借りして援護していきたいと思います。 信者さんがたは本当の心の安らぎを忘れているのかもしれません。 生まれた時から与えられた良心の声、この声をもう一度素直に聞いて欲しいのです。 心穏やかににこやかに笑みを浮かべてほしいのです。 伝道のための笑顔ではなく、今生きていることへの果てしない感謝の気持ちを ただ味わっていただきたいのです。 幸せとは誰かに教えてもらうものではありません。 いま与えられている環境の中にあるのです。 素直に耳を傾けていただきたい。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/10 (Thu) 23:53:21 -名前:イエスまりあ
バルナバ さん こんばんは。
かつて教祖はこう言いました。 現代の四正道(愛・智・反省・発展)の中で何をとればよいのか迷うなら 先ず愛をとりなさいと。 そう言ってはばからなかった教祖です。 今の教団に愛があるのでしょうか。 また、常々こうも言いました。 本当の愛は与えきりのもの。 奪う愛ではないと。 当然の事です。これらは人として生まれおちて誰からも教えられずとも知っている事です。 その、ごくごく当然の事がこの教団にはさっぱり分からなくなっているのです。 ひたすら奪う事だけに奔走し、奪うためなら嘘も言う。 簡単に人権を無視しまるで奴隷のように信者を扱います。 ですから、何の違和感も良心の痛みも無く魔女狩りのようなことをやってのけるのです。 信者さんももっと真剣に考える時期が来たのではないかと思います。 Re: 踏み絵のつもり?パート3
日付:2011/11/12 (Sat) 15:28:33 -名前:エルカン血祭り実現党
与える心があればやはりわずかでも対価を得ようとする心も働くわけでそれでは不十分だと思います。
どんな言葉を使っても裏表の意味の受取りようがあり結局は人間性のみの問題になるわけで 恐怖を感じて仏道に戻れば鳩の死骸を与えることさえも愛なんだと言うトンデモない人は沢山いらっしゃいます。 |